このブログ名は「こころざし研究所」です。かなり気負った名称ですが、これには私なりの思いが込められています。
私は、40代後半である大学院の修士課程へ。更に50代前半からは博士課程で研究の仕方を学びました。修士では若干の授業がありましたが、博士課程は正に学位論文を書くための指導を受けました。途中、1年の休学期間を含めて、通算9年間を大学院で学んだことになります。
通信制大学から国立大大学院へ
「なぜ大学院にいったのか」・・・私は毎日の生活の中で色々な事につまずき、疑問を持っていました。子育てのこと、福祉のこと、地域の仕組みのことなど、考え始めたら次から次へと疑問が増えて、その一つ一つが膨らんでいきました。しかし、どこを探してもその答えは見つかりません。「何としても答えを見つけたい」と思っていたところ、通信制大学で「応用社会学」という学問に出会いました。
現実の社会で起こっている様々な問題を取り上げて研究していこうとするその学びにすっかりはまってしまいました。そして、ある社会学者グループが、私の住む町に注目し、10年かけて研究していたことを知りました。たまたま、そのグループの一員が担当教授だったという偶然もあり、自分が住む町に注目するようになりました。
その後に進んだ大学院の「地域政策科学研究科」で企業都市のジェンダー構造と主婦活動の関連についての調査をもとに修士論文をまとめ、「修士(地域政策)」の学位を得ました。その大学には博士課程がなかったこともあり、それ以上に進む考えは全くありませんでした。
ひょんなことから博士課程へ
それがなぜか突然、博士課程に関心が湧き、前の大学院とは全く関係のない私立大学の博士課程の試験を受けました。そこは現代社会研究科で、当初は引き続きジェンダー研究をしたいと考えていましたが、当時の担当教授の指導もあり、ジェンダーとは全く異なる視点での研究をせざるを得ない状況に陥りました。結果的に言えば、これが私の転機となり、ライフワークともいえる研究への一歩を踏み出すことができました。途中、担当教授が代わったり、仕事が忙しくなり休学したりと紆余曲折がありましたが、何とか学位論文をまとめて「博士(学術)」を頂くことができました。59歳の時です。
当時は、学位が取得できたという事だけで満足し、それ以上のことは考えもしませんでしたが、学位審査の審査員の一人から合格のお祝いとして、「博士という学位を取った者の責任」という言葉を頂きました。学位を取得したということは、研究者としてのスタートラインについたということで、その研究を通して社会に貢献する役割を担ったのだと教えて頂きました。研究というと大学の研究室でするものというイメージですが、私は生活の場である地域に根差した研究を続けていくことで少しでも社会に役立ちたいと考え、「こころざし研究所」という活動を続けています。