自分を遺すということ

どんな自分を遺したいのか

 

歳を重ねるたびに、残された時間が永遠ではないことを実感します。ここまで生きてきて、「何をしてきたのか」「何をやり残したのか」「これからの時間をどう使うのか」、自問自答の繰り返しです。しかし、いつの間にか「自分は何を遺したいのか」という問いが加わりました。

「遺す」という言葉には「伝える」という意味が含まれているそうです。自分の人生を終えるとき、私は家族に、友人に、そして社会に何を伝えたいのか。じっくり時間をかけて考えたいテーマです。ただ、あまり時間をかけていると答えが出る前に命が無くなってしまうかもしれません。頭に浮かんだ事から少しずつ、周りに遺す準備を始めることにしました。

手始めに「遺影」を写して頂きました。たまたま、ある市民団体が主催する「遺影撮影会」があり、勇んで出かけました。とある写真館でプロのカメラマンが撮影するという贅沢な企画。撮った写真を大きなモニターで選んでいくのですが、その最中にあることに気づきました。それは「最後にどんな自分を見送って欲しいのか」ということです。

不思議なもので、写真にはその人の雰囲気も映り込みます。私は、歯を見せて笑っている表情を選びました。その写真が一番自分らしいと感じたからです。遺影は、自分のためというより、むしろ残していく家族や友人へのメッセージという気がしました。

遺したいものは人それぞれでしょう。中には「遺したいものなんて何も無い」という人もいると思います。しかし、どんな人の人生も意味のないものはありません。そして、遺す価値のない人生などありえません。次の時代に続く人たちに役立つモノやコトを遺すことは、この時代を生きてきた私たちの最後に与えられた大切な役割だと思います。

以前読んだ「自分を遺す本」(瀬川陣市著・2010年・祥伝社)には、自分史はもちろん写真や趣味の作品、音などを遺す方法が紹介されていました。そして何より、デジタルを活用することで様々なモノやコトが遺し易くなったといいます。事実、パソコンやデジタルカメラ、レコーダーなどを使うことで、素人でも簡単、安価に記録が遺せる時代になりました。あなたもちょっと立ち止まり、人生を振り返って「何を遺したいのか」をじっくり考えてみませんか?