身近に残る戦争の記憶

とある図書館で、第二次世界大戦の空襲に関するパネル展示を見る機会がありました。昭和207月の空襲がどのようなものだったのかを伝える写真と当事者が描いた絵、焼夷弾の実物などが飾られていました。

 このような展示は、これまで幾度となく目にしており、今回もまた同じようなものかなと軽い気持ちで見始めました。ところが、段々と歩の進みが遅くなっていき、ついにある絵の前で足が止まってしまいました。

 その絵には、親子が空襲を逃れるために川の中で葦の影に隠れて、敵機が去るのをジッと待つ様子が描かれていました。また、川まで辿り着けなかった人が血を流し倒れている傍らに、助けようと寄り添う人たちの姿も。説明文には「川には焼夷弾から油が流れ出てベタベタしていましたが、姉妹でジッと隠れていました」とありました。プロが描いたものではありませんが、それだけに絵から放たれる強いメッセージがしっかりと伝わってきました。

 隣には、病院の門前に敷かれたムシロにズラッと並べられた傷ついた人たちの絵がありました。「この人たちの大半は亡くなりました」と、主催グループのメンバーの女性が教えてくれました。彼女は昭和5年生まれで、当時の様子をしっかり覚えているそうです。「こういう体験をした人がどんどん少なくなっている。私たちが伝えていかなくては」と残された人たちが果たさなくてはならない使命を感じているようでした。

 「戦争は怖い」「悲しい」「酷い」というイメージは、多くの人が共通してもっています。しかし、日常生活の中で、「戦争」が話題にのぼることがどれだけあるでしょうか。誰しも辛く悲しい話題を避けたいと思いますが、その姿勢こそが戦争に対する意識を希薄にし風化させていきます。

 戦争は軍隊だけがするものではありません。町が一瞬で廃墟になり、家族や友人の命が理不尽に奪われます。私たちの人生そのものが無くなってしまうのです。当たり前のことですが、外国で勃発している戦争も同様です。自分たちの命は自分たちで守らなくてはなりません。しかし、それは戦争という手段を用いる事ではないと思います。

 人間も、社会も進化していると信じたい。武力以外の国際紛争解決の手立てがきっとあると思います。70年以上たっても消えない悲しみを繰り返さないために、私たちに何ができるのかを考え、それを声に出すことから始めていこうと思います。